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「夏を拾いに」(森浩美著)

 私は現代作家の作品を読むということは極めて少ない。十数年前まではそうでもなかったのだが、ここ十年は、ホントに少ない。別に何らかの思いがあったわけでもない。

 あるとき、ある評論を読んでいて、ハタとその理由らしきものに思い至る。

 最近の小説は、やたら長いものが多い傾向があるという。ストーリーも一つ一つの文章もそうらしい。はっきり言って、冗漫な文章が増えてきているという。いや、そんな文を書く若手作家及び作家志願者が多い傾向があるという。

 その評論家さんは、その理由として、キーボードを挙げておられた。現代の作家の多くは、原稿用紙にペンで手書きで文章を書くのではなく、今、私がそうしているように、キーボードで思いを「打ち込んで」いる。

 まさに私がそうだが、ブラインドタッチ(キーボードを見ずに画面を見ながら打ち込みをする)をできる人は、自分の頭に思い浮かんだ文字、言葉をほとんどそのまま打ち込むことも決して不可能ではない。

 よっぽど頭のいい人ならともかく、私程度の並の能力しか持ち合わせていない人間は、頭の中にぱっと思い浮かんだ言葉が、洗練された無駄のない文章になっているなんてことは、まずはあり得ない。

 冗漫な文章。

 いくらその後推敲しようが、元が元なだけに、限界がある。

 ということで、出来上がった文章及びその文章の集合体である小説はいきおい「冗漫」なものになりがちなのだろう。

 もう一つ理由がある。おそらくは現在40歳代以上の読書家の方たちは、これまで相当な読書量をこなしてきているであろう。近代の天才、森鴎外、夏目漱石はもちろん、志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成等々誰でも知っている作家の作品のすべてとは言わないが、少なくとも代表作くらいは相当読み込んでいる。それ以前の、古典といわれるものも原文で読み込んでもいよう。

 そんな作家の文章が意識の底に沈んでしまい「読書の質」というものができあがっている年代の読書人からすれば、今時の、冗漫な文章で積み重ねられた作品を読み込むことは、相当骨が折れる作業だ。

 もちろん、今でもレベルの高い作家さんはたくさんいようが、それは、30年後くらいに、あぁ、あの時代のあの作家さんは、あの時代の中では光っていたねと言われるのを待とうと私は決めている。

 そんな私が珍しく、自分から手を伸ばした、現代作家さんの作品。

100902夏を拾いに 「夏を拾いに」(森浩美著)


 今年春の中学高校入学試験の「国語」で最も引用されることが多かったそうだ

 まぁ、つまんなかっても広貴に読ませればいいやと文庫版を購入。相当な分量ではあったが、視察の移動のJRの列車内で、20分あまりで読み終える。

 あれだけ中学高校入試に引用されるというのは、それだけの力のある作品なんだろう。

 あえて、広貴に勧めようとは思わないが、本棚の隅っこにころがしておこう。

 以上、冗漫な文章になってしまったというお手本。

山野之義 * 一夜一冊 * 08:07 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

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