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「昭和の戦争ー保阪正康対論集」(朝日新聞社刊)

 8月は、なんといっても、原爆投下、陛下による玉音放送等のため、戦争にまつわる報道が多い。さらに、暑い暑いお盆をはさむこともあり、いきおい、国民の関心もそちらに行く。

 先般、部屋の整理。何年か前に購入した本が出てくる。

 「昭和の戦争ー保阪正康対論集」
 久しぶりに、ちまちまと読み出す。いくつかの対談をまとめたものでもあり、その対談ごとに読めるのもいい。

 保阪正康という作家は、どちらかといえば、左系(あまり好きな言葉ではないが・・・)ではあるが、取材力、資料の分析力、及びそれらに基づいて近現代史をわかりやすく説明する能力には大変優れている。

 私は、時々、引っかかるところがありながらも、保阪の著作をいくつも読んでいる。

100903昭和の戦争 保阪との対談ではおなじみの半藤一利、福田和也等々との対談集。


 強く印象に残ったところを二つだけ記す。

 先の大戦で一兵士として戦った伊藤桂一氏との対談。伊藤氏は、まさに、下っ端のいつ死んでもおかしくない現場の兵士として従軍した。

 伊藤氏は、戦後、作家として名を成し、直木賞も受賞。戦記物をいくつも残している。

 「こっちで中国軍と戦争していても、50メートル離れたところでは農民が平気で畑を耕して、「あ、あの連中やっとるな」というふうな顔をしていることもしばしばでした」

 「国民党と共産党軍の敵対意識は、日本軍に対する意識よりははるかに強いんですね。(中略)日本軍の前で国民党軍と共産党軍が戦闘を始めることもありました。そうすると日本軍は入っていかないで、黙って見ているわけです」

 その他の箇所を読んでいても、一口に中国軍といっても、さまざまな地域での軍閥というものがあって、そのもっとも規模の大きいのが国民党軍と共産党軍ということがわかる。

 してみると、いつの間にか、ポツダム宣言において中国も名を連ねるようになったのは国民党軍であるが、さらに、いつの間にか、それが共産党軍に変わったということは、つまりは・・・、軍閥割拠の内戦に勝ち残ったのが共産党軍に過ぎないということがよくわかる。

 当時の日本軍は、中国共産党つまり中華人民共和国と戦争をしたのではなく(実際、共産党軍との激しい戦闘はほとんどないという)、国民党軍を中心とした軍閥の一部と戦争をしていたのであり、その軍閥は軍閥で絶えず内戦をしていた・・・。

 そして、日本敗戦後65年経った今でも、その中国共産党軍である中華人民共和国から日本の”侵略性”なるものを口撃されている。あんたらに言われたくないという思いもあろうが、なかなかそれも難しそうな。

 いわゆる、日中戦争なるものは、日本という国家にとっては、なんともやるせない泥沼であった。

 伊藤氏の対談の最後のほうで述べた言葉が象徴的だ。

 「私たちの経験を含め、今次大戦のことは保阪さんや、若い世代の方々に研究・検証してもらって、国民の財産として残していっていただきたいですね」

 次に続く。

 「一国の歴史の中においては、我々のように苦労を担当する世代もあるわけです。だから、僕はこれでいいんだ、と思っています。仲間にも、これでいいんだよ、と呼びかけたいです」

 当事者の言葉であるだけに、なんとも切ないが、歴史をこれだけ俯瞰してみる姿勢も必要なのであろう。

 私たちがしっかり勉強していかないと。

 もう一つは、こんど整理する。今日はここまで。
山野之義 * 一夜一冊 * 18:17 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

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