<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 平成20年3月議会一般質問予定原稿 | main | 議会質問二日目 >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

スポンサードリンク * - * * - * - * pookmark

再び、「歴史の傍観者とならないために」

 本日、金沢市議会3月議会代表質問が行われた。各会派の議員さんの思いをお聞きする。
 その質問の中で、社民党の議員さんから、私にとってまさに驚天動地の提案がなされた。

 先の大戦前、中国上海にて、多くの日本人たちに向かって爆弾を投げ、無差別殺人事件を起こして逮捕・処刑された、朝鮮(現韓国)のテロリスト尹奉吉(ユン・ボンギル)の埋葬跡地である野田墓地で、尹奉吉を顕彰する資料館を作ってはいかがかという提案であった。(当時、テロリストという言葉は一般的でなかったであろう。そういう意味では、尹奉吉をこの言葉で表記するのは適切でないかもしれない。ただし、現代の言葉で言えばそうなるだろうし、当時の言葉でこだわるならば、「無差別殺人犯」となろうか。)

 もちろん、市長答弁は、言下にそんな考えを否定するという至極当然なものであったが、私は、いろいろと深く考え込んでしまった。

 数年前、この事件について私がまとめた拙文があるので、今一度、皆さんにお目通しいただき、ご意見をいただければと思い再度お送りしたい。

      ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

         「歴史の傍観者とならないために」

                        (2004年12月20日)

 今年、私たち日本人にとって、もっとも衝撃的であった国際事件。その一つとして、イラクで武装組織に拉致・拘束されていた香田証生さんが惨殺された事件があげられるであろう。香田さんのとった行動に対しては、軽率の謗りは免れないところではあるが、その行動の代償としては、あまりに、悲惨すぎる事件ではなかったか。
 その事件を起こしたテロリスト軍団の首謀者は、ザルカウィ容疑者とされている。
 先日、新聞を読んでいて初めて知ったのだが、実は、ザルカウィはイラク人ではなく、ヨルダン人なのだという。ザルカウィは、自分たちの行為を聖戦とか何とかいって正当化してはいるが、これまでも、アフガニスタンでも何件もの殺人事件を起こし、また、ヨルダン国内でもテロ行為を繰り返し、投獄をされた経歴も持つという。今回の一連のテロ行為も、イラク問題を混乱させることだけが目的なのである。キッシンジャーが言う、「テロリストたちにとっては、負け続けなければ、それが勝利なのである」という典型ともいえる。

 私は、イラクでテロ行為を起こしているザルカウィが、ヨルダン人と知り、戦前、日本も巻き込まれた、ある事件のことを思い起こした。

      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 時代は、戦前にまで遡る。
 昭和6(1931)年9月、満州事変勃発。
 これを契機として中国では抗日運動が高まり、その翌年の昭和7(1932)年1月28日、上海において中国人が日本人托鉢僧を襲撃するという事件が起きた。この事件はやがて、日本と中国の軍事衝突に発展していった。いわゆる第一次上海事変である。日本は俄かに上海派遣軍を編成して送り込み、激しい戦闘が3月まで続いた。

 実は、先の大戦後、その当時、上海駐在武官補佐官をしていた田中隆吉少佐が、明らかにしたところによると、この事変は、満州から列国の目をそらせるために、田中少佐自らが中国人を買収し、日本人僧侶を襲撃させたものであるとされている。
 もちろん、そのような事件が、信憑性を持って受け止められるような、当時の上海市内の空気であったことは間違いない。上海共同租界を中心とした地域で、日中相互の乱闘事件も頻発していたという。

 満州事変及び上海事変については、私の受け売りの解説を書いていても仕方がないので、ここでは、これ以上触れない。

 昭和天皇は、事変の長期化を憂い、その終結に向けて、信望篤い白川義則陸軍大将にその旨を伝えた。白川が指揮した上海派遣軍は、首尾良く、戦闘を鎮圧すると同時に、3月3日に、停戦命令を出した。東京の参謀本部は、優位な状況でありながら停戦を進める白川を責め立てたが、白川は当初の予定通り、停戦協定に向けて奔走した。
 その結果、日中紛争審議のために開かれていた国際連盟総会においても、その雰囲気は、格段によくなっていった。4月30日の国連総会において停戦決議案が採択され、5月5日には、上海停戦協定が調印。上海事変は名実共に終結した。

 そんな中、戦闘が終結して停戦交渉が進行中の4月29日、上海市内の公園で、天長節(昭和天皇誕生日)祝賀式典が行われていた。まさに、その式典のさなかに、日本軍めがけて爆弾が投げ込まれ、壇上にいた陸軍大将白川義則が死亡し、公使の重光葵ほか数人が死傷するというテロ事件が起きた。

 爆弾を投げ込んだのは、韓国の民族主義団体の青年、尹奉吉(ユン・ボンギル)である。彼は現場で直ちに逮捕され、軍法会議にかけられた結果、死刑判決を受けた。その後、日本に移送され、その年の暮れ近くになって金沢に連行。12月19日、三小牛山で処刑された。

 なぜ、金沢なのか。
 それは、爆弾を投げ込まれた日本軍というのは、上海派遣軍の主力部隊であった、金沢に司令部を置く、陸軍の第9師団であったからである。処刑の後、遺体は野田墓地に埋葬されていたが、終戦後の昭和21(1946)年3月、関係者の手によって、その墓地から遺骨が発掘され、韓国内で葬儀を行った後、国立孝昌墓地公園に埋葬された。

 現在、野田墓地にある、その埋葬地跡には今でも遺髪が残され、関係者が墓地として整備をし、その後、「暗葬之跡」と刻まれた石碑が作られ、現在に至っている。私は、日本人の死生観からいって、その埋葬跡地を整備し、慰霊碑建立等々、何らかのお弔いをするという行為は、理解できないことではないと思っている。

 問題は、平成4(1992)年4月、埋葬跡地のすぐ近くに、やはり、関係者の手によって作られた、「尹奉吉義士殉国碑」なる石碑である。

 この野田墓地は、私の自宅のすぐ近くにあることもあり、私は、地元の墓守の方たちをはじめ、多くの方から、この石碑に対する批判的な意見を耳にすることが多い。
 当時の韓国の方たちが感じていたであろう、心情的なものは理解できるとしても、爆弾事件そのものは、間違いなく犯罪行為以外のなにものでもない。尹奉吉について、極めて好意的に書かれたものを、どれだけ、尹奉吉に感情移入して目を通したとしても、やはり、確信犯としてのテロリストであることは間違いない。尹奉吉は軍人でもなんでもない、一市井人(好意的な表現で言ったとしてである)である。しかも、爆弾事件での被害者は軍人だけではない。前述した重光葵をはじめ軍人以外もいる。軍人が軍人に対して行った戦争行為でもなんでもない。あきらかに無差別テロである。

 残念なことに、彼自身は、偏狭な反日思想に凝り固まっていて、当時の国際情勢や韓国国内の政治状況にまで、思いを巡らすということはできていなかったようである。尹奉吉は、おそらくは、上海事変に対して、何ら問題意識を持っていなかったのではないだろうか。上海事変が既に停戦交渉に入っていたこと、国際連盟も、白川大将の行為を評価し、日中間の仲裁に入っていたこと等々に、少しでも理性を持って、思いをはせることができれば、あのような蛮行に及ぶことはなかった。否、彼にとって、そもそも、上海事変や国際問題なんてことは、どうでもよかったのだろう。目的は、日本に対して、テロ行為を行うことだけだったのだ。実際、この爆弾テロの直前の1月にも、仲間たちとともに、天皇暗殺を企てている。上海は、単なる、テロ行為を行う場所選びの、ひとつの選択肢に過ぎなかった。
 結果からいえば、この爆弾事件は、その後の、日中関係及び国際情勢に、何ら影響を及ぼすこともなかった。そのことは、先に述べたように、事件直後の5月5日に停戦協定が成立したことからも明らかである。ちなみに、この停戦協定調印式には、上海派遣軍司令官の白川義則は負傷のため(その後、死亡)、出席できず、やはり、負傷をおして、協定に調印した重光葵は、その日のうちに右足切断の手術を受けている。

 イラクでテロを繰り返すザルカウィがヨルダン人であるのと同じように、上海でテロを実行した尹奉吉は中国人ではなく、韓国人である。その思想、行動のベクトルは、どれほどの違いがあるのか。

 では、なぜ、そのようなテロ行為を称えるような石碑が、金沢市が所有する墓地に建てられているのか。金沢市はテロリズムを肯定しているととられてしまうのではないか。
 私が先に述べたように、何人もの地元の墓守や市民の方が懸念している所以である。その不安、不満は、漠としたものであっても、行き着くところは、まさに、ここに尽きる。

 この石碑については、平成3(1991)年12月に、「金沢市墓地火葬場に関する条例」に基づいて、使用許可がなされている。しかも、この条例にそって、使用料(いわゆる永代使用料)216万円も、市は徴収してしまっている。条例の細かい文言は省略するが、要するに、ほとんどの場合、使用料を払った者は、自分の意志で墓地の返納を申し出ない限り、その墓地の使用は、当然の権利といえる。道義的にどう思われようが、法的には、その石碑の存在に問題はない。
 では、なぜ、金沢市はこのような石碑建立に、墓地使用許可を出したのか。当時の資料によると、次の3点が挙げられている。

 1.尹奉吉が野田山墓地内で埋葬されていた。
 2.戦後45年を経過し、日本と韓国は友好的で活発な交流を行っている。
 3.建立希望を拒めば、日韓関係を損なう。

 私は、最初の2つは理解できるが、3つめの理由はどうしても納得できない。なぜ、そのような、安易でいびつな発想に直結するのか。そのような意見があったとしても、それを調整するのが、外交であり、政治ではないのか。考えること、議論することを放棄してしまっている。

 どうやら、私たち日本人は、お互いの歴史観、価値観を述べあって、その違いを尊重するということが苦手なようである。もしかしたら、かくいう私自身も、例外ではないのかもしれない。しかし、私は、そのことに対して、問題意識を持つことは大切なことであるということは、認識しているつもりだ。

 調べていくと、石碑建立において、その関係者の中でも、テロ顕彰に対するためらいが、厳しい意見対立としてあったという。そういう経緯もあってか、石碑に対する批判の声は、その関係者も気にされているところでもあるようだ。定期的に、墓地回りの清掃をし、また、石碑が、通りからは見えないよう配慮すべく、その周囲には背の高い樹木を植えるということもなされている。

 今となっては、私たち金沢人は、色々な思いで、この石碑と向かい合っていかなければならない。

 この石碑は、この時代の金沢が、決して歴史の傍観者ではなかったということを教えるために、地中から、にょっきり生えてきて、そこに立っているのかもしれない。

      ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 余話。
    「をとめらの 雛まつる日に 戦(いくさ)をば
            とどめし勲(いさを) 思い出にけり」

 これは、事件の翌年、白川義則大将が停戦命令を出した3月3日の節句の日に、昭和天皇が、白川大将の勲功に想いを馳せながら詠じられたものである。そして、鈴木貫太郎侍従長を通して白川家に下賜されることになった。
 しかし、この御製は、本庄繁陸軍大将武官長の強い要望もあり、侍従長の軍への遠慮から、十年もの間、発表されなかったという。

 多くの人たちにとって、あまりに切ない時代であった。

      ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 
 以上、歴史的事実を中心にまとめたものだ。稚拙な文章はともかくとして、尹奉吉に好意的な方が読んでいただいても、内容自体には、さして、反論はないのではないだろうか。もし、事実誤認があれば、ご指摘いただきたい。謙虚にお聞きしたいと思っている。

 さて、私は、今回の質問を聞いて、少々気が重くなった。一つは、その提案をされた議員さんは、全金沢市議会議員の中で、私がもっとも評価している議員さんだということもある。もっとも勉強熱心で、金沢市政に取り組む態度も極めて真摯な方だ。人間的にも立派で、私とは、その社会観、歴史観とが相容れないものがあると分かってはいるが、その真摯な姿勢に対して私は心から尊敬の念を持っている。しかし、今回は行き過ぎだ。度が過ぎている。

 気が重くなった、もう一つの理由。

 その方は、この尹奉吉の質問項目に入る際、「多文化共生」を旗印に「偏狭な民族主義に拘泥することなく」とおっしゃった。
 
 日本の文化や風習、さらには、今回の場合、当時の日本の法制度に則った事実をとらまえて、日本の歴史に思いを馳せることが、「偏狭な民族主義」なのだろうか。それらに配慮することなく、他の国の方たちの政治的な思惑の入った主張を一方的に聞き入れることだけが、「偏狭な民族主義に拘泥すること」のない姿勢となるのだろうか。もしかしたら、私も、「偏狭な民族主義」の人間と思われているのだろうか・・・・。私からすれば、文中にもあるように、尹奉吉こそが「偏狭な民族主義」者に思われるのだが・・・・。
山野之義 * メルマガ * 17:38 * comments(4) * trackbacks(0) * pookmark

スポンサーサイト

スポンサードリンク * - * 17:38 * - * - * pookmark

コメント

管理者の承認待ちコメントです。
Comment by - @ 2017/11/23 1:17 AM
また金沢がご指摘の社民党議員に侵食されてしまいましたね。それも副議長とは....彼が社民であることを表に出さず無所属で当選したことに怒りを感じています。彼が暗葬之跡記念碑の行事に参加し市役所内で平和を語っていることも残念でなりません。沖縄の反対活動に参加し沖縄の方たちに大変迷惑かけている人を当選させた金沢市民にも幻滅しています。私が金沢の人間に感じることは「自分の利益になる人に投票する」という面が大きいと思います。特に補助が欲しいNPOに関わる人たちが謙虚です。だから深淵を貫くことは大変だろうけど頑張って下さい。応援してます。
Comment by 転勤で移住してきた金沢市民 @ 2015/06/06 3:09 PM
山野市議のおっしゃるとおりだと思います。
思想信条の自由は、日本に認められたものです。山野市議のこの件に関しての思想信条は、私の思想信条と変わりません。
こらからもどんどん戦ってください。
金沢のために。
市議会議員活動応援しています。

Comment by 裏鷹 @ 2008/09/29 2:54 PM
金沢市という公が尹奉吉のような無差別爆弾魔を顕彰する碑を維持していることは好ましくないと思います。永代供養料相当分を受け取ったとしても、無差別爆弾魔を顕彰すること自体、公序良俗に反するので、何とか早急な撤去を期待しております。
議会活動、応援しております。
Comment by まろりん @ 2008/09/18 1:04 PM
コメントする









トラックバック

このページの先頭へ